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僕のこと、好きなら

罪状:器物損壊、営業妨害、傷害+α
「お前、やっべーよ、この状況!」
「そうかな」
「呑気にそのくっそ長い髪弄くりながら言うなよ! それにニコニコ笑うな! そんな場合じゃねえんだよ!」
「まあまあ、カズくん、そんな、慌てなくとも」
「あー、お前最悪! 馬っ鹿じゃねえの!? お前ホント、馬鹿じゃねえの!?」

 人気の失せた冬の夜の大学構内に、俺の罵声が響き渡る。しかし、なおも俺の前で田代は穏やかな微笑みを浮かべている。手に工具箱と、そのなかに入っていたらしきレンチを下げながら。
 
 レンチは、夜目にもわかるほど、どす黒く染まっている。
 
 それがここ、学食前の自販機置き場に崩れている男の血であることは明白だ。なぜなら、道着姿の彼の頭は、同じ色の血溜まりにひたひたと今も濡れているのだから。
 
 ゼミ室に忘れ物を取りに行った帰り、通りすがりにその光景を見つけた俺は、思わず動転してその場に駆け寄ってしまったわけだが、この期に及んでも焦っているのは俺だけで、目前に立つ田代は冷静そのものだ。いや、赤く汚れたレンチを片手に、冬の夜風に黒髪を揺らしながら微笑んでいる田代の姿は、冷静を通り越して、異様だ。

 前からおかしなところのある奴だとは思っていたが、こうとなると化け物味すら感じる。

 すると、田代が柔らかな笑みを崩さぬまま、足元の男に視線を投げた。
 
「大丈夫だよ。気を失っているだけだと思う。そんなに強く殴ってないから。まあ、この出血だと救急車は呼んだほうがいいとは思うけど」
「大丈夫って、田代さぁ、分かってるか? こいつ柔道部じゃん。うちの大学でいちばんヤバい相手だぞ。アイツら、地方大学ながらインターハイ出てるってイキリ散らかしが最近酷いの、お前も知ってるだろ? こいつが大丈夫だとしても、他の部員がこれ知ったら、何してくるか

 と、俺はそこまで語を放って、田代に肝心なことを問いただしてないことに今更ながら気がついた。

 なんで、こんなことになってんの?

 すると、俺の疑問を察したかのように、田代がふふっと笑った。これまたこの場に似合わぬ穏やかさで。

「ちょっと自販機、いじっていただけなんだよね」
「へ?」
「うん。ちょっと目的があってさあ、自販機の後ろいじって、入れ替えただけなんだよね、コーラとおしるこ」
「コーラとおしるこ?」

 なんだなんだ、なんの話をしはじめたんだ、こいつは。

 俺は半ば呆然としながら田代の言葉を復唱する。夜風がびゅうううと吹き荒れて、頬を冷たく刺すのも忘れた声で、ただ呆けて。

「うん、コーラのボタンを押すとおしるこが出て、おしるこのボタンを押すとコーラが出るよう、ちょっと改造したわけ。ちょうどそれが済んだ頃にこいつが来たから、どうぞ、って自販機を譲ったんだ。そしたら、こいつ、ちょうどよくコーラのボタン押してくれて」
「はぁぁぁ
「それで無事おしるこが出てきたから、僕としては確かめる手間が減ってよかったんだけど、こいつ、めっちゃ怒って」
普通、それは怒るだろ
「それを僕、ついニコニコしちゃって見てたもんだから、僕の仕業だと分かったらしいんだよね。それでいきなり襲いかかってきたから、咄嗟にまだ工具箱にしまってなかったレンチで殴っちゃったんだよね。まったく、それくらいでさぁ。そんなにコーラ飲みたかったのかなぁ。せっかく冬なんだから、季節限定のおしるこもいいのに。短気だよねぇ」
それくらい、じゃねーよ! 田代!」

 ことの真相を知った俺の口から、思わず怒号が飛び出た。あまりにもバカバカしい顛末に頭がくらくらする。
 ところが、数十秒の沈黙ののち、田代はさらにとんでもないことを言い出した。
 
「カズくん、僕のこと好きなら、共犯者になって欲しい」
「は?」
「そうなってくれたら、僕、カズのしたいことなんでもする。そうだね、まずは、キスしてもいいよ?」
はい?」
「したいんでしょ。僕、ずっと知ってた。カズの目がそう言ってるの、ずっとずっと、知ってた」

 そして、唖然とした俺の虚を突くように、田代が顔を寄せてくる。思わず固まった俺の顔面を、田代の長い髪が擽る。

 それを払う間もなく、俺の唇は田代に奪われていた。

 耳元で声がする。
 悪戯っぽい、というには、あまりにも邪気が含まれすぎた、囁き声。

「ふふ。これで、交渉成立」

 その田代の声に我に返った俺は、思わず彼から身体を離し、飛び退いた。先ほどからの目眩に加えて、動悸が酷い。この場で卒倒しなかったのは、気の弱い俺にしてはよくできたほうだ。
 そんな俺を面白そうに眺めながら、田代が唇をぺろり、と舌で舐めている。
 そして、またも話し始める。

柔道部を殴り倒したことは僕のせいでもいいんだけど、自販機の件はカズがかぶってほしいんだ」
「自販機の件って、つまり、俺がコーラとおしるこ、入れ替えたことにしろって?」
「そう」
「おいおいおい、俺、そんな機械の知識ねえよ、俺文学部だぞ!? 文学部史学科だぞ!?」
「僕だって工学部だからできたわけじゃないよ」
工学部の知識をそんなつまらねえことに使うんじゃねえよ!」

 しかし田代は動じることなく、語を継ぐ。
 足元に倒れている男の血溜まりが、前より色濃くなっていくことなど、どうでもよいと言わんばかりに。

「僕、学食の畑山さん、好きなんだよね。で、彼に構ってもらいたくて、自販機をついつい、いじっちゃったんだけど」
「はあ?」
「ほら、うちの大学、私学にしてはあちこち展開してて、全国規模でしょ? そんななかで、彼、まだ若いのに、あの歳でこんな地方都市の大学の学食勤めなんて、どう考えても出世コースじゃないよね。きっとなにかあったと思うんだよ。でも、畑山さん、そんなの気にしてないっていうふうに振る舞っていて、僕にもいつも、元気に挨拶してくれて。そういうところが好きなんだよね。最近では、ちゃんと僕が磯辺うどんが好きってことも覚えてくれてたし」

 そうなんだ、田代、磯辺うどんが好きなんだ。まったく知らなかったな。覚えておこう。

 俺は寒空に響く田代の言葉を聞きながら、どこか別世界の出来事のように、今知った事実をぼんやりとする脳で反芻した。
 だが、なおも田代の唇は止まらない。

 さっき、俺の唇と触れ合ったばかりの、あの柔らかな唇が、どんどん俺の理解の範疇を超えた言葉を紡いでいく。
 
「だから学食、出入り禁止になりたくなくて。僕、畑山さんに惚れちゃったみたいだから」
君たち! うわぁ! 何やってるの!」

 突如、田代の声に重なるように、大声が降ってきた。振り返れば、宵闇のなか、ひとりの守衛が、懐中電灯の光を俺たち、そして足元に転がる柔道部に向けたまま、棒立ちになっている。
 
 その瞬間、思いもしない言葉が俺の口から爆ぜた。
 なぜだかわからないけど、爆ぜてしまった。

「おっ、おっ、俺が! やりました! 俺が、その、自販機にちょっと、その、出来心で悪戯しちゃって! で、この人にそれ咎められたから、つい、殴り倒しちゃって! こっ、こいつは通りがかっただけで俺です、俺が全部やりました!」

 
「ばっかだなぁ

 守衛が俺にそこを動かないようにきつく言い含めてから、救急車を呼びに守衛室に駆け戻っていくのを見て、田代がぼそっ、と零した。
 
「それじゃ共犯じゃなく、犯人隠匿罪じゃんカズくん、本当に馬鹿だなぁ」

 田代の唇は最後の最後まで、笑みを刻んだままだった。

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