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天使の骨

天使の化石についての一考察
 贋物にせものであろう、というのがF氏の見解だった。

 N大学の研究室の天板の上ではまさに作業が行われていた。卵型の骨壺の中には人骨と、翼の骨と思われる無数の骨が納められているようだ。それをひとつひとつ箸で天板の上に並べている若い女が、こちらを見るか見ないか――それくらい早い段階でF氏は、「贋物だな」と一言告げた。
「これは上手くできたものですね。鳥類の翼をいだのでしょう」
「贋物ではありません」と若い女史が言った。眼鏡をかけたアジア系の女だった。頬骨が少し浮いていて、厳つく見えるが、メイクアップはしっかりとしていた。赤すぎるリップが彼女の顔の中ではっきり浮いていた。
 F氏はちらりと煩そうに彼女を一瞥して、私の方だけを向いて説明を続けた。
「ふつう翼というものは肩甲骨につながっている、ないし繋がる余地があるものですよ。しかしこの天使の化石とやらにはそれがないではないですか」
「お言葉ですが、F教授」
「君には話しかけていない」
 なおも遮ろうとする女史に、白い肌のF氏ははっきりと拒絶を示した。そして一転して柔らかな声音で、手袋を嵌めない指先を骨に滑らせた。
「見てください、この肩甲骨の形、どこからどう見ても人間のそれと相違ありません。この鳥の翼のほうも、この骨と接着していた痕がみられない」
 赤いリップの女史はだまったままそれを聞いた。何か言いたげな赤い唇が、何度も開いては閉じてを繰り返す。私はむしろ彼女の方に話を聞いてみたかった。
 しかしF氏は自分の考えをひっくり返す気がさらさらなさそうなので、私は日を改めることを考えた。化石の分析をしていた女史、ナナセに連絡がついたのはその日の夕方のことだった。

「翼が肩甲骨についていると決めたのは誰だったのでしょう。神様でしょうか」
 ナナセはあの赤い唇でワインを舐めながら、私にそう尋ねた。彼女はもっとも誠実に「天使の化石」に向き合っているひとりだった。
「仮に、骨壺の中にヒトの体を支えうるほどの鳥の翼の骨が納められたとして、共に納める理由がなにかあるはずです。化石から読み取れることは真贋ばかりでないことを、彼は忘れています」
「ぼくもそう思うよ」
 私は腕を組み、彼女の白いシャツを眺めた。簡易な英語が描かれていた。「明日はいい日になると信じている」。私たちが漢字をありがたがるのと同じで、彼女たちもそうなのかもしれない。
「そして、仮にですよ、人骨とともに翼を骨壺におさめたとして……2020年代の鳥類に、人間の体を支えうるような翼をもつ鳥類は存在しないのです。おかしいとは思いませんか。あの大きな翼」
「ああ」
 私は適切に相槌を打つ。ナナセの舌は回り続ける。
「私は、天使は本当にいたのだと思っています」
 そして彼女は腰のあたりに手を当てた。
 彼女の目が招く。私は、そっとその頬に触れる。化粧の濃いにおいと若い女のにおいがする。彼女は私の耳もとで囁いた。
「腰骨のあたりに、翼の名残がありました。明日、翼の骨と照合する予定です」

 そしてナナセは翌日、大学から出た不審火で焼けて死んだ。天使の化石もまた炎に焼かれて変質し、元の形が分からなくなってしまった。

 F氏は大学が焼けたことを嘆きこそすれ、天使の化石の損失については何も触れなかった。代わりに私にこんな話を聞かせてくれた。
「天使の存在は隠匿されなければならなかったのだろう。聞いたことはないかね、2020年代から50年代にかけて起こった突然変異種の話だ。あくまで噂話の範疇に過ぎないが」
 ことさら「噂話」を強調して、F氏はそれから声を潜めた。
「アジアには、腰に翼の生えた有翼人がいたとか、いなかったとか……いなかったことにしておきたいがね、私としては」

 ナナセの司法解剖の結果、死因は一酸化炭素中毒だった、彼女はそのあと劫火に焼かれ骨となった。私は彼女の骨を見た。あの頬骨の形がそのまま彼女だった。あの夜共寝した女の骨が、私の目の前で次々に壺におさめられていく。
 ふと女の骨を眺めていたら、腰骨、何番目かの骨のあたりに、何かでっぱりのような、小さな突起が一対の翼のように生えていた。それは今にも羽を伸ばして飛び立ちそうな形をしていて、この部位が発達したら翼になるであろうと、素人目にも予感させるような力強さを放っていた。

 ああ、天使の骨だ。

 私はそっとそれを、仏教の形式にのっとって箸でつまみ上げた。そして骨壺の中にひっそりとおさめた。

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