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深緑の魔法使い

04 出会い
 その酒場は、「黄金の仔羊亭」という所だった。活気があり、客の数は多い。あたしはなるべく隅の方の席に座った。
 名前の通り、ここの売りは羊肉で、あたしは葡萄酒と仔羊のグリルを注文した。それが運ばれてくるまでの間、あたしはぼんやりと他の客の様子を眺めていた。
 こんな喧騒を、あたしは覚えている。新入社員だった頃、あたしは上司のビールの残量に気を配りながら、サラダを取り分けていた。
 いきなり姿を消したあたしのことを、会社はどう処理したのだろうか。行方不明で除籍になっているのかもしれない。

「お姉さん。一緒に一杯、どう?」

 使い古された誘い文句だな、とあたしは思った。声がした方を見上げると、茶髪を短く刈り込んだ、痩せ型の男の姿があった。歳は若い。見た目だけなら、あたしと同じくらいだろうか。

「けっこうよ」

 あたしは断ったつもりだったのだが、男はあたしの前の席に強引に腰掛けた。

「俺、セド。お姉さんは?」
「……マヤよ」
「可愛い名前だね、君にぴったりだ」

 あたしはそっと、足元に使い魔の黒猫を呼び出した。しかし、黒猫は特に反応を示さない。危険性はない、ということだろうか。そうしている間に、レドは自分の分の葡萄酒を注文した。

「この出会いに、乾杯!」
「か、乾杯」

 あたしは渋々、盃を交わす。なんてチャラい奴だ。あたしは正直、こういう輩に慣れていないので、いなし方が分からない。

「あれ、マヤって魔法使いなんだ?」
「そうよ」
「一人で何してるの?」
「旅よ。次はガレス山に行くの」

 そう言うと、セドはあんぐりと口を開けた。

「ガレス山って、あのガレス山?レドリシアからだと、滅茶苦茶遠いぜ?」
「知ってる。でも、大事な用事があってね」

 見知らぬ男に仔細を話したくはないので、それくらいで留めておく。さすがのセドも、あたしが煙たがっている様子を察したようで、今度は自分の話を始める。

「俺はガキの頃から各地を転々としててさ。ガレス山にはさすがに行ったことはないけど、地理には詳しいんだ。レドリシアに着いてからは、けっこう経つ」
「そう。仕事は何をしてるの?商人には見えないけど」
「色々さ、色々。日雇いのときもあるし、旅の護衛をすることだってある。俺、こう見えて強いんだぜ?」

 仔羊のグリルが運ばれてきて、あたしとセドはそれを切り分けて食べた。

「マヤはいつレドリシアを出るんだい?」
「明日にはもう、シオドルへ向けて出発するわ」

 シオドルというのは、ガレス山へ向かう途中にある都市だ。それからさらに、ソルホという街で、山登りの支度をするつもりである。

「じゃあ、今夜でお別れか。寂しいねえ」
「そういうことになるわね」

 代金は、セドに払ってもらった。この世界の常識がどうかは知らないが、いきなり同席してきたのだから、まあ当然だろう。



 あたしは宿屋へ帰るため、夜道を歩き始めた。すると、程なくして、黒猫があたしの脚にまとわりつき、歩みを止めさせた。
 振り返ってみると、ナイフを持った二人組の男たちが、腰を低くして立っていた。

「おっと、気付かれちまったな。嬢ちゃん、悪いことは言わねえ。有り金置いていきな」

 これまた古い文句だ。この世界の人々は、いちいちそうなのだろうか。

「お断りよ」

 あたしは地面を蹴った。宿屋まではまだまだ遠いが、きっと逃げ切れる。しかし、予想以上に男たちの脚は速かった。一人に回り込まれ、あたしは前後を挟まれてしまった。

「逃げようったって、そうはいかないぜ!」
「ちっ!」

 さて、どうしようか。あたしはヤーデの教えを反芻する。あたしだって、攻撃魔法くらい使えるのだが、いかんせん制御が苦手だ。雷を落とすにしろ、炎を飛ばすにしろ、まともに命中させた試しはない。ヤーデには結局、本当に困ったときしか使うなと言われてしまった。
 だが、今は本当に困ったとき、にあたるだろう。魔法を詠唱しよう、そう決意したその時だった。
 ヒュン、と何かが風を切り、あたしの後ろに居た男の背中に突き刺さった。

「ぎゃあああ!」

 男に突き刺さっていたのは、ナイフだった。次いで、もう一本のナイフが飛んできて、もう一人の男の腹をえぐる。

「くそっ、誰だ畜生!」
「全身やられたくなかったら、さっさと行きな。次は頭を狙うぜ?」

 聞き覚えのある声。というか、ついさっきまで聞いていた声だ。その声の主は、さらにもう一本のナイフを構えた。

「ひ、ひいいい!」
「おい、ずらかるぞ!」

 男たちはナイフを抜いて血を流しながら、そのまま走り去っていった。

「こう見えて強い、って言っただろ?」
「ありがとう、セド」

 セドははにかみ、ナイフを懐にしまった。
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