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深緑の魔法使い

01 ヤーデ
 ヤーデが死んでから一ヶ月が過ぎた。
 ようやく荷物をまとめる気になったあたしは、中途半端に伸びていた髪を短く切り、彼女とこの屋敷に別れを告げることにした。
 フードのついた黒い外套を羽織り、美しく愛しい森を抜けた。
 さよなら、ヤーデ。色々と、感謝してる。



 大樹の魔法使い、というのが、あたしの師・ヤーデの二つ名だ。
 顔の彫りは深く鷲鼻で、背は非常に高い。
 魔法を生業とする者で、彼女の名を知らない者はいない、らしい。
 どうして伝聞調なのかというと、あたしが他の魔法使いと会ったことがないせいで、ついでに言うと、あたしがこの世界の人間ではないからだ。



 あたしは魔法など存在しない別の世界から、ヤーデの屋敷がある森に飛ばされ、彼女に保護された。
 老練な魔法使いである彼女は、あたしが異世界の人間だと直感的に分かったらしい。
 混乱し、怯えていたあたしを優しく諭してくれ、世話をしてくれた。
 ヤーデによると、あたしのような存在は過去に何名かいたそうで、異世界についての研究をしている魔法使いもいるらしい。
 その魔法使いに会いたいと申し出たが、彼女にも居場所が分からないそうだ。
 初めは自棄になっていたあたしだが、嘆いたところで腹の足しにはならず、やはり「ここで」生きていかなければならない。
 彼女とは日本語が通じなかったので、初めは使い魔を通して意思疎通をしていたのだが、徐々にこちらの言葉も勉強していった。

「マヤは賢いのだな。覚えるのが早い」
「そうですか?まだ簡単な単語くらいしかわかりませんよ」
「普通に暮らしていくだけなら、それで充分だ」
「暮らしていく、ですか」

 魔法使いの老人との二人暮らしにも慣れてきた頃、あたしは今後の身の振り方を考えるようになっていた。
 いつまでもヤーデの世話になるわけにはいかない、一人で生計を立てなければ、とぼんやり思っていた。
 この世界は、科学の代わりに魔法が発達したところらしく、全ての存在に魔力が宿っているそうだ。
 例えその力が弱い者でも、魔石を使えば火をおこすことができる。そしてそれは、異世界人であるあたしも例外ではなかった。
 この世界で、誰にも頼らず生きていくには、最低限の魔法を使えなくてはならない。



 ヤーデはそんな焦りを、ちゃんと見抜いていたのだろう。
 ある日の夕食後、ヤーデはあたしに指輪を見せた。
 彼女がもし、あたしと同年代の男性だったら、プロポーズの場面かと錯覚していたところだ。
 あたしはまるで意味がわからず、ポカンとした顔をしていたのだが、実際それは結婚指輪と同じようなものだった。

「これは、魔法を生業とする者が、弟子に贈る指輪だ。魔法使いは基本的に子弟制度で成り立っている。それは前に、説明したことがあるな」
「はあ。でも、なんで、それを」
「マヤ。私の弟子にならないか」

 その時あたしがどんな返答をしたのか、自分でもよく覚えていない。
 ヤーデの瞳を写し取ったかのような、見事な翡翠色の魔石がはめ込まれた指輪は、結局あたしの左手薬指におさまることになった。
 それから、ゆっくりと、魔法の修行が始まった。



 こちらで言う魔法使いというのは、日本のゲームに出てくるものとは少し違う。研究者や、職人と言った方が近い。
 生活で使う魔石具を考案したり、魔石の精製をしたり。
 ヤーデは自分のことをあまり語りたがらなかったが、若い頃はお転婆な魔法使いだったようだ。
 現在は森で自給自足の生活をし、魔石の精製を主な仕事としているが、攻撃魔法の使い手として暴れまわった時期があるとのこと。酒に酔ったときだけ、そのことを話してくれた。
 元々あたしに魔法の素養はあったようだが、すでに二十歳を過ぎていて、魔法使いになるには相当遅い年齢だった。
 ヤーデにしたって、随分と歳を取っていて、日に休憩が何度も必要な身体だった。



 ヤーデは焦らなかった。彼女に残された時間は多くはなかったが、布を水に浸すように、あたしに全てを教えてくれた。
 美しい日々だった。あたしが知る、どんな日々よりも。
 魔法使いになると、老化が遅くなるらしく、月日が過ぎてもあたしの容姿は変わらなかった。
 しかしヤーデは、ある時を境に急速に老いていった。



 つまりは、そういうことだったのだ。
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