どうもこんばんは。夏なつですね、皆みなさん。息子むすこも夏休なつやすみに入はいり、我わが家やは家族かぞく旅行りょこうの計画けいかくをしているのですが……

「お母かかさーん、今年ことしは水族館すいぞくかん行いきたーい」

　息子むすこがそう言いって聞きかないのです。ここ数すう年ねんの旅行りょこうが陸側りくがわに偏かたよっていたからそう言いうのでしょうけど、私わたしとしては頑張がんばって断ことわる理由りゆうを探さがさなければなりません。

　これを聞きいて、子供こどもの願ねがいを聞きけない薄情はくじょうな母ははと思おもう人ひともいるかもしれませんが、私わたしは海洋かいよう恐怖症きょうふしょうなのです。このことは夫おっとにすら話はなせていません。

――結果けっか息子むすこのおねだりは、日増ひましに意固地いこじとなっていきました。それを見みていた夫おっとも、それくらい連つれて行いってあげたらいいじゃないかと言いいます。そして息子むすこが眠ねむったこの時間じかんに、問といただしてきました。

「君きみの方ほうこそ意固地いこじじゃないか。なんでそんなにたかしの頼たのみを断ことわるんだ。もっと遠とおいところまで一緒いっしょに連つれて行いったこともあるじゃないか」

　事情じじょうを知しらない夫おっとの目めには、意固地いこじになっているのは私わたしに見みえたそうです。冷静れいせいに考かんがえれば無理むりのないことでした。私わたしも断ことわり方かたがきつくなっていた自覚じかくはありました。

――それでも私わたしには、水族館すいぞくかんに行いきたくない理由りゆうがあるのです。これを機きに、海洋かいよう恐怖症きょうふしょうになった経緯けいいを話はなそうと思おもいます。皆みなさんも、夫おっとと一緒いっしょに聞きいてください。



　私わたしは昔むかし、水族館すいぞくかんで清掃せいそう員いんとして働はたらいていました。ショーステージやホールなどの、お客様きゃくさまが入はいる場所ばしょを主おもに担当たんとうしていて、時ときには夜遅よるおそくまで従事じゅうじしていたこともあります。

　その水族館すいぞくかんは日本にほんでは珍めずらしい、シャチを飼育しいくしているところで、シャチのショーが目玉めだまでした。大繁盛だいはんじょうしていたと思おもいます。だからこそ私わたしは、お客様きゃくさまに心地ここちよく楽たのしんでもらえるように、一生懸命いっしょうけんめい働はたらいていました。

――あの、凄惨せいさんな事故じこを見みるまでは。

　たしか、その日ひもまた、夜遅よるおそくまで掃除そうじをしていた日ひでした。終業しゅうぎょう時間じかんとなり、掃除そうじを終おえた後あと、シャチのいるショーステージの方ほうを通とおった時ときでした――見みてしまったのです。血ちの海うみと化かした水槽すいそうを。中なかにいたシャチが、みんなお腹なかを破やぶられて死しんでいたのです。

　ストレスが原因げんいんで殺ころし合あったのか、そう思おもいましたが、それなら一匹ひきだけでも無事ぶじな子こがいるはずです。怪奇かいき現象げんしょうという他た、ありませんでした。

――ですがその景色けしきの中なかで、一匹ひきだけ無事ぶじに泳およいでいる何なにかの影かげが見みえたのです。生いき残のこりがいたのかと、喜よろこんで駆かけ寄よった時とき、それは顔かおを近ちかづけてきました。

――それはなんと、この水族館すいぞくかんでは一匹ひきも飼育しいくしていないはずの、サメでした。私わたしに気きづくなりサメは、不気味ぶきみな顔かおを見みせてきました。図鑑ずかんで見みたどのサメとも違ちがった、恐おそろしい顔かおだったことを覚おぼえています。



――それからは、一心不乱いっしんふらんに逃にげて警備けいび員いんの方ほうを探さがしたと思おもいます。彼かれらを連つれてきて、水槽すいそうに戻もどった時ときには、サメはいなくなっていました。それでも警備けいび員いんの人ひと達たちは、シャチの亡骸なきがらの惨むごさに怯おびえていました。

　サメはどこにいったのか。怯おびえながらも必死ひっしで探さがしましたが、それを見みつけるより先さきにもっと不可解ふかかいなものを見みてしまいました。ステージの上うえに、女性じょせいが立たっていたのです。ウェットスーツを着きた彼女かのじょは静しずかに笑わらってステージの後うしろに去さりました。全まったく見覚みおぼえのない人ひとで、スタッフではないことは明白あからさまでした。

　まさかあのサメの正体しょうたいは――そんなことを考かんがえながら、警備けいび員いんの方々かたがたの方ほうを見みると、その中なかで一番いちばんご年配ねんぱいの中平なかひらさんが、一番いちばん青あおざめていました。何なにを言いっているのか、正確せいかくに覚おぼえていないのですが、女性じょせいの名前なまえを言いっていたと思おもいます。



――それから私わたしは、出勤しゅっきんができなくなり、長期間ちょうきかんの休職きゅうしょくの後あとに退社たいしゃすることになりました。その時ときの最後さいごの挨拶あいさつで中平なかひらさんに、あの日ひのことを聞きいたのですが、あの女性じょせいは昔むかしシャチの水槽すいそうに転落てんらくして事故死じこしした人ひとらしいです。

　中平なかひらさんはその時とき新人しんじんで、少すくなくともあの日ひ一緒いっしょに彼女かのじょを見みた警備けいび員いんの中なかで当時とうじのことを知しる者ものはいなかったと言いいました。

　きっと彼女かのじょが、シャチに対たいして無む念ねんを晴はらすために化ばけて出でてきたのだと、中平なかひらさんは言いいました。それをなぜ、私わたしに見みせたのかは何なにもわかりません。あの日ひの後あと残のこったのは傷きずついた心こころと血塗ちぬられた水槽すいそう、そしてショーができなくなって落おちぶれ廃館はいかんとなった水族館すいぞくかんだけです。

――話はなしが長ながくなりましたね。夫おっともようやく、私わたしが水族館すいぞくかんを避さけている理由りゆうを納得なっとくしてくれたみたいですし、今日きょうはたっぷりお酒さけを飲のんで寝ねようと思おもいます。

　今いままでこのことを思おもい出だした時ときに、そうしなかった日ひは、必かならずあの時ときの夢ゆめを見みるのですから……

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作者さくしゃコメント

本作ほんさくの作中さくちゅうでサメがシャチを惨殺ざんさつしたことが描写びょうしゃされていますが、これは作中さくちゅうのサメがゴーストだからできることであり、現実げんじつで両者りょうしゃが戦たたかうと「体格たいかくと知能ちのうの両面りょうめん」でシャチが圧倒的あっとうてき有利ゆうりなので、作中さくちゅうの状況じょうきょうでは間違まちがいなくシャチが勝かちます。
無論むろん、主人公しゅじんこうはそれをわかっているからこそ、作中さくちゅうのゴーストシャークに怯おびえたのです。