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猫と兎

32 どうか僕の
 僕が電話をかけるのは初めてだったから、夕美は少々たじろいでいた。
 夕美に指定されたのは、駅前のファミレスで、門木とよく行くチェーン店だった。

「人がせっかく寝てたのに……」
「ああ、悪かった」

 夕美はお前が奢れよ、と言いながらミックグリルを注文する。夕飯時には少し早いが、お腹が空いていたらしい。

「それで、陽奈とはちゃんと話したのか?例の件はどうするかって」
「もちろん。お昼に会って話したよ」
「報告するなら順番的には波流が先じゃね?散々世話になっといて」
「まあ、それもそうなんだけどさ……」

 僕はゆっくりと、陽奈とどうなったかを話し出す。





 陽奈とは14時頃にコーヒー・チェーンで待ち合わせた。僕はコーヒー。彼女はカフェオレだ。

「えっと、転勤決まったんだ?」

 席に着いてすぐに、陽奈が本題に入る。

「ん、まだなんだけどさ。この前の答え、早く言わなきゃって思ってね」
「その方がいいかな、私的にも」

 陽奈の丸い瞳は、揺らぐことなく真っ直ぐだ。

「ごめん、陽奈。君を連れては行けない」
「そっか。わかった」

 別れた時と同じコーヒー・チェーン。僕がこういう答えを出したことを、陽奈は呼び出された時から解っていたのだろう。

「正直、すっごくショックだよ。でもね、半分、ダメ元なとこもあったから。悩ませて、ごめんね?」
「いいんだよ、陽奈。僕もやっと、気持ちを整理できたから」
「あっ、けどひとつお願いね。これから、友達になってくれないかな?」

 曇りの無い笑顔で、陽奈はそう言う。

「高校生の時、志貴くんと別れて。それっきりになっちゃったよね」
「うん。僕も、陽奈のことを忘れようと必死になって生きてきた」
「またこうして振られちゃったけど、あなたは私の良き理解者。高校生の私を知ってくれている存在。だから、友達でいてほしいの」

 僕は、陽奈のことを心底好きだ、と思った。
 彼女は強くなった。いつまでも弱々しいウサギさんではない。立派な大人の女性だ。
 今の陽奈は、多少なりとも強がってはいるけれど、嘘は言っていない。彼女の言葉は真実だ。

「もちろん。これからずっと、友達だ」

 僕は力強く、そう答えた。





「……それで、友達宣言して帰ってきたわけか」

 僕が話し終える頃には、夕美はミックスグリルを平らげており、ホットコーヒーを飲んでいた。

「高校生の頃の約束は、もう果たせなくなったけど。友達として、僕は陽奈の力になってやりたい」
「うん、そうしてやりな」

 夕美はドリンクバーへ行き、僕の分のホットコーヒーを持ってくる。僕は短く礼を言う。

「それから陽奈に、理由を聞かれた。なぜそういう決断を下したのかって」
「ああ、それは陽奈も気になるところだろうね」

 夕美はあくびをして背中を逸らす。

「言ったんだ。夕美のことが好きだから、って」
「……はい?」

 きょとんとした表情と声。想像通りの夕美の反応に、僕は内心ほくそ笑むものの、どういう言葉が夕美から発せられるのかびくびくする。

「陽奈に、そんなこと言ったのか?」
「うん。僕は夕美が好きだ。付き合ってほしい」

 黙りこくったままの夕美を見つめながら、僕は続ける。

「もしかしたら僕は、夕美にふさわしくない男なのかもしれない。けれどもそれは、これから夕美が決めることだ。夕美はいつも、黙ってるか、本心と逆のことを言うだろ?」

 図星なのは本人も承知なのだろう、夕美は口を尖らせる。

「今回は、嘘つくの無し。本当の気持ち、言ってほしい」
「いや、その前にだな。陽奈は何て言ったんだよ?」





 陽奈は少しびっくりして、それでも喜んでくれた。

「で、どの辺が好きなわけ?」
「それ聞く?」
「だって志貴くんとは友達だもーん」

 意地悪く笑う陽奈。こういう表情を見るのは久しぶりかもしれない。彼女が本当に僕のことを吹っ切れているのかはわからないが、こういう決断をした以上、残酷でも話す必要はある。

「大人になって綺麗になったとこ。好みが合うとこ。ずっとべったり、とはいかなくても、寄り添って生きていきたいと思えるとこ」
「なんか、志貴くん変わったね。そこまでスラスラ言える人じゃなかった」
「色々悩んで、思ったんだよ。本音は言葉で表現しないといけない、ってさ」

 波流と、それから陽奈と夕美とも再会して。僕は、高校生の自分と現在とを、ようやく繋げることができたのだと思う。
 忘れたかった過去が目の前に押し寄せてきて、僕は随分ともがき苦しんだ。
 それで思い知らされた。過去の僕も、今の僕も、結局一続きの同じ人間なんだと。

「あーあ、結局は夕美に負けちゃったなあ。私だっていい女になったと思うんだけどな」
「うん。陽奈は確かにいい女だよ」
「もし夕美に振られて、私のとこきても遅いからね?」
「わかってる」

 僕たちは友達として、笑顔を交わした。この決断に、悔いはなかった。





「それから、陽奈は夕美ともずっと友達でいたい、って言ってたよ」
「ん、それはいいんだけど」

 夕美は僕と目を合わそうとしない。どこかふてくされているようにも見える。

「だから僕は、夕美さえよければ、彼氏にして欲しいんだけど?」

 言葉を重ねる度、どうも恥ずかしくなってくるのだが、相手がそわそわしながら黙りこくっているのだから仕方がない。

「あたし、さ」

 夕美がようやく口を開きだす。

「慣れてないんだよ、こういうの。今までの男だって、なんとなくで付き合ってきた奴ばっかりだったし」

 僕はあえて黙っている。

「真剣な恋愛なんて、もうしないだろうと思ってたし。志貴はいい奴だから、傷つけたくないし。あたしはそんな、いい女じゃないぞ?」
「うん、そうかもしれない」
「おい」

 夕美はじとりと僕を睨む。

「お互い仕事だってあるしさ。僕が転勤したら、会うのも難しいかもしれないけれど、できれば沢山の時間を夕美と過ごしたい」
「……旨い酒と、ラーメン。そんなのでよければ、付き合ってやってもいい」
「彼女として?」
「まあ、そういうことになる、かな」

 コーヒーはすっかり冷め切っていたが、夕美はやっと、僕の目を見てくれた。
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