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猫と兎

14 クリスマス・イブ
 一度陽奈を僕のベッドに寝かせ、コンビニへ走る。帰省するため、冷蔵庫は空にしていたのだ。二リットルの水のペットボトルと、果物ゼリー、菓子パンを買う。彼女の好きなものを、瞬時に思い出せた自分に笑う。帰ってきたときには、もう日付が変わっていた。
 僕は今、陽奈と二人きりでいる。紛れもない現実。心のどこかで、望んでいた状況。酒も買っておけばよかった、と後悔する。
 このまま、何も考えず酔いつぶれて眠ってしまいたい。

「ん志貴、くん?」

 陽奈が寝返りを打ち、薄く目を開ける。僕がコンビニへ行っている間に、タイツを脱いでいたようで、記憶よりもずいぶん細くなった素足が見え隠れする。

「水、飲んだ方がいい」
「ありがと

 陽奈はのっそりと半身を起こし、コップを両手で包んでこくこくと水を飲む。その仕草は、高校のときと何も変わってない。ニットの襟ぐりから、肩紐のようなものが見えて、僕は目を逸らす。

「ごめんね、こんなにいきなり、お邪魔することになっちゃって」
「別にいいって」

 それきり、何の言葉もひねり出すことができない。僕はその代わりに、電気を消す。

「僕、こっちで寝るから」

 床に敷いておいた毛布にくるまり、瞳を閉じる。暖房をつけているから、寒くはない。多少、身体が痛いだけだ。

「ねえ、志貴くん」

 陽奈はまだ、身体を起こして、僕の方を見ているようだ。

「失恋したての女の子は、落としやすいよ?」

 僕は思わず起き上がる。

「わたしがチョロいのは、元々だけどさ。お酒のせいにもできるし、余計に襲いやすいんじゃないかな?」
「何てこと言うんだよ、陽奈」
「ボロボロで、傷だらけだから。ちょっと優しくされちゃうだけで、すぐにコロっといっちゃうよ?」

 陽奈は首を横に傾け、儚げに微笑む。
 手を伸ばせば、届く距離。

 僕に会いたいと、陽奈が言った。
 そして僕は、陽奈に会いにきた。
 波流から電話がきた時点で、断ってもよかった。
 電車はギリギリだった。
 僕はそれに間に合うよう、必死に走った。
 陽奈を置いて、帰ってもよかった。
 波流の家に泊めるという選択肢も、あるはずだった。
 だけど僕は、こうして陽奈を、連れて帰ってきた。

 全て、僕が下した決断の結果だ。

「でもだからこそ、僕は弱みにつけこむようなことを、したくない」

 もし、今ここで、陽奈を抱こうとしたら。僕はまた、彼女を傷つけることになってしまうんじゃないか?

「ふふ。志貴くんは、何も変わってない。優しい男の子だね」



 高校三年生のクリスマス・イブ。僕と陽奈は、計画通りのデートをしていた。喫茶店でチョコレート・ケーキを食べ、お揃いのプレートネックレスを買った。勉強のことは、丸っきり頭から抜けていた。あと、夕美のことも。
 僕にとって、このデートは罪滅ぼしのようなものだった。寂しがり屋なくせに、それを口にもできなくて、ただじっと耐えてくれている、一途な恋人に対しての。

「ふう、お腹いっぱいだよー」
「ごめんな、ファミレスでディナーなんてさ」
「謝ることないよ、志貴くんと食べるご飯は、いつだって美味しいもん」
「来年は、豪華なところに連れて行くからさ。夜景の見える窓側の席で、フルコース頼んで、シャンパン飲もう!」
「来年になってもまだ未成年だよー?」

 陽奈が笑って身体を動かす度、胸元のプレートが光った。昼間歩き回って、二人散々悩んで決めたのは、一番シンプルなデザインだった。

「志貴くん、どこ見てるの?」
「ネックレス。陽奈によく似合ってるなあと思って」
「えへへ」

 この後僕は、ドリンクバーで時間を繋ぎ、陽奈を送って帰るつもりでいた。彼女のマンションの駐車場には、ちょっとした死角があるので、そこでキスをして。
 ところが陽奈は、一杯目のココアを飲み終わらない内に、もう出ようと言いだした。

「今日ね、お母さんは夜勤で、お父さんは出張なの。お兄ちゃんは、友達の家に泊まるって言ってた」
「そ、そっか」

 さすがの僕も、その意味が分からないほど、子供ではなかった。しかし、陽奈の方がずっと、大人だった。

「今夜はクリスマス・イブだよ?」

 最高の思い出に、なるはずだった。イブの夜に結ばれて、永遠の愛を誓うつもりだった。
 僕は震えながら、買ったばかりの陽奈のネックレスを外した。彼女は僕の顔を見つめて、すぐに赤くなって目を逸らして、僕のシャツの裾を、きゅっと握った。
 だけど、肝心のところで、僕の身体は役に立たなかった。陽奈のせいじゃない、と僕は何度も何度も謝った。本当に情けないことだけど、僕は彼女の前で、泣いてしまった。彼女はそんな僕を、精一杯抱きしめてくれた。

「ごめん、陽奈。全部、僕が悪いんだ」
「いいよ。志貴くんの気持ちは、ちゃんと伝わってるから、大丈夫だよ」
「本当に、ごめん」

 僕は陽奈の顔を見ることができなかった。彼女がどんな表情をしているのか、確かめるのがこわかった。謝り続ける僕に、彼女は言った。

「ありがとう。志貴くんは、優しいね」
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