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骨を孕む

骨を孕む
□二〇一七年二月二十二日

『自分の骨の味を知れ。
 かみしめよ。地面に埋めよ。
 掘り出してもう一度かみしめよ。』

 十六でこの言葉にぶち当たったとき、私は大きな衝撃を受けた。人の視線を気にし、自分の選択や行動に自信を持てなかった多感な時期に、この言霊を含んだヘンリー・ソローの著作『森の生活』は私のバイブルになった。一文字一文字をなぞるように心に呑みこみ、トイレへ行くにも持っていき目に焼き付けた。そうして私は大学へ進学し四年間を過ごした。
 小論文のあの教授は名前はなんといっただろう。彼とは相性が悪かった。いつも私が書く文章をそれは誇称だと言い張って譲らなかった。私が『至福』と書くのに何度も噛みついた。どうして今さらそんなことを思い出すんだろう。そもそも何についての小論文だったか、なにを至福と書いたかさえ覚えていない。私の文章がいかに大袈裟で冗長かをこんこんと諭す教授の間抜けな顔だけがぼんやり思い出される。その教鞭こそ冗漫の見本だと100回は不平をつぶやいた。
『森の生活』の新訳が小学館文庫から出ていた。今日読んだが期待したものとは若干違っていた。文章は平坦になってわかりやすさは確かに増していたが、複雑な心情が滲み出るヘンリーの人生哲学が平和な現代日本のフィルターを通してすっかり美しく整えられているような気がした。
 ヘンリーは森を愛する心やさしきナチュラリストなんかじゃない。不正を憎み、奴隷制度廃止のための武装躍起にも共感を隠さず、燃え滾る感情に支配された人だ。だからこそ彼は森を愛し、閑けさを必要としたのだと私にはわかる。孤独な社会こそが、真の平和だと知っているからだ。争いや対立をなくすにはそれしかない。
 本当の美しさとは歪なものであると思う。それは人の顔でも哲学でも同じだ。整いすぎていれば不自然で、それは無機質でもあり魅力を感じない。強烈な引力を持つ存在とは、何かしら非対称でアンバランスさを持ち、その均衡を保つのに際どい危うさを抱えていることを私は経験から知っている。
 数学や物理は違うかもしれない。しかし歪みや複雑さの中から、ただひとつの真理を導き出そうとするその姿勢は共通している。そういう意味では、歪みとは認知や思考において重要なファクターであることは間違いないのだ。
 今日は頭が冴えきっていて眠れない。理由はわかっている。ばあちゃんの葬儀が終わった。さすがに堪えた。疲れで指が震える。どうせ眠れないだろうが、続きは明日にする。

□三月一日
 明日と書いたのに一週間が経ってしまった。いつまでたっても疲れも怒りも収まらない。何もかもが腹立たしい。ばあちゃんの家にあれほど親戚が訪れたのはきっと初めてだ。いままで寄り付きもしなかったくせにと何度も言いそうになった。二人きりで暮らしていた平穏な日々が懐かしい。私の部屋は今でもあの頃のままだ。いつでも帰ってこいと、ここはおまえの家だからと、私はその言葉だけを頼りに大学生活を過ごした。名古屋に留まればそのまま一緒に暮らせたけれど、それ以上に私は外へ出たかったし逃げなければならなかった。大学を卒業して働きに出たら、また一緒に住もうと約束もした。ばあちゃんは笑うより感心して「おまえはすごい。わしの誇りだ」といつも私を褒めてくれた。
 初七日の荷物も片付いて葬儀社が香典を取りまとめた資料を置いていった。忙しい忙しいと叔母は騒ぎながら帰っていった。手伝えなくて多少の申し訳なさはあるが、今日も昨日も誰も来なかった。ようやく静けさが訪れる。
 二人きりになったのはいつぶりだろう。私は小さな骨壺の紫の紐をそっとほどいた。蓋をあけると白い骨が収まっていた。ばあちゃんの体のすべてではない。入るだけしか入れられないと小さな骨壺を火葬場で見せられたときは驚いた。残りはひとまとめにされてどこかへ埋められるそうだ。そんなことならすべてばあちゃん家の庭に埋めた方がどんなに喜ぶだろうと思ったが、この家がどうなるのかもわからなかったし言いだせなかった。できることなら私がこの家に住みたいと強く思ったが、まだ年若い孫の私がそれを親戚の面々に訴えるのは考えるのも煩わしかった。
 両手にすっぽりと収まってしまうくらいに小さな壺だ。白くて丸い陶器。でもその陶器よりもばあちゃんの骨の方が何倍も美しかった。一番上に喉仏が置かれている。崩れないようにそっと二本の指でつかみ、手の平に乗せて撫でた。仏様が手を合わせている形にみえるから喉仏と呼ばれる。お歳の割にしっかりと形が残っています、と焼き場の人が誇らしげに言った。そのあと、この姿かたちをきれいに遺すためには熟練の火力調整が必要なんですと続けた。どうでもよかった。
 仏様になったばあちゃんはとてもかわいらしかった。小さくて、あどけなくて繊細だった。夏休みに、居間の欄間に積もった埃を掃除してあげようと私が使い古しの歯ブラシを持ち出したとき、ばあちゃんはとても喜んだ。昭和三〇年に家を建てたときに名のある職人が彫ったという欄間には近江百景が描かれていてそれは見事だった。高い位置に取り付けられた欄間を取り外すとき、もちろんあのとき私は細心の注意を払ったけれど、橋脚の一本を折ってしまった。ひどく慌ててなんとか補修しようとボンドを塗ってもうまくくっつかず何度も謝る私に、ばあちゃんはまったく怒らず残念そうにもせず、「おまえが無事ならそれでええ」と言った。
 小さな仏様をハンカチの上に座らせ、座されていた壺の中の骨を眺めた。知恵の輪のように重なりあっていた。比較的大きいものに手を伸ばし、人さし指を滑らすとそれはさらさらとしていて、磨かれ切ったようになだらかだった。ぽうっと、なんともいえない温かさが体を包んだ。私の内側から透明な水が湧き出るようにぞくぞくと、細胞が沸き立ち命が生まれるようなそんな不思議な高揚感に満たされた。そしてこれを「食べたい」とそのとき私は強く思った。この体のうちに取り込んで、細胞も血もこの骨も、すべてを一緒にして融合してしまえば、これらがたとえどこの汚れた土に埋められようとも、どこの海に撒かれようとも関係ない。私がぜんぶ食べてあげる。一緒になってあげる。ずっと一緒にいられなくてごめん、もっとずっと一緒にいられなくてごめん、ごめんごめんごめんと、心の中で繰り返した。
 涙が溢れて美しい骨が見えなくなり、濡らしそうになったので一度壺に戻して蓋を閉め、元通りに紐を結わえた。
 自転車でばあちゃん家を出た。昭和橋は暗くて車通りもなかった。角の交番は無人だ。自転車のライトだけが私の行く道を照らした。舗装の剥がれたでこぼこ道に揺られながら、道すがらどうやって食べようかと具体的なことをただ考えた。おおよそすぐに方法は決まった。問題はそのあとだった。納骨の際に中を見られるかもしれないし、あまりに軽くなっては不思議に思われるだろう。ほんの少しならばれないだろうが、それでは意味がない。空になった壺をどうするかそれを考えよう。今日はここまでにする。

□四月十日
 しばらく空いてしまった。四十九日が終わった。代わりが見つかるまではハラハラしていたが、だれも骨壺を気にする人などいなかったしましてや中身を確認しようという人は皆無だった。そもそも法要以外で人が訪問することもなかった。遺産らしい遺産は特になかったから、ばあちゃんの家をどうするかでやはり親族は揉めた。更地にして駐車場にしようと叔父は言ったが、叔母が反対した。ただしそれは家を残したいからという理由からではなくて管理が面倒だという話だった。売却するにも結局は手続きの煩わしさが先に立つのだろう。
 代わりの骨はなかなか見つからなかった。私は道端に落ちる身寄りのない死骸を探して彷徨った。おかしなことだとは思わなかった。保健所に回収されゴミと一緒に燃やされるより何百倍も良いと思った。二週間ほどして、一匹の白い猫が倒れているのを見つけた。近づいて触れるとそれはもう硬直が始まっていて、鼻から血を流していた。目立った外傷はなかった。そっと眉間を撫でてから、体を両手ですくい、持ってきた段ボールに横たえた。電話で訪問火葬を呼んで翌日の日取りを取り付ける。
 依頼をいれたとき「その猫さんのお名前を教えてください」といわれてそのときだけはひやっとした。机の上に飾ってあった、タイのソラの木でできたソラフラワーの造花が目に入ったので、「ソラ、です」と答えた。当日、担当者は「お空の色がちょうどあったので」とやさしい笑顔で水色の生地に星が散りばめられた小さな骨壺を持参してくれた。
 駐車場で骨になるのを待つ。二時間くらいだった。煙はほとんど出ず、大きな黒いワゴンの中で尽きた命が今まさに肉体を捨てて空へ昇っているなどとは、聞かなければわからない光景だった。
 白い骨はやはり美しかった。ぶつかり合うとカランとかわいい音を立て、数珠に繋げればウィンドチャイムが作れそうだと思った。ばあちゃんの小さな仏様が入っていた壺の紐をふたたびほどき、丁寧に詰めてまた封をした。そっと手を合わせる。離れた場所へ運んできてしまったことだけが悔やまれた。なつかしく遊んだ公園は少し遠いだろう。それでももう苦しくないよと心で話しかけた。

 ばあちゃんの美しい骨はすりこぎで丁寧に粉砕し、珈琲に入れてゆっくりと飲んだ。小さな仏様だけは、昔一緒に写真をとった庭の松の木の根元にそっと埋めた。土を被せるときに崩れてしまうかもしれないと思ったがそれは仕方のないことだった。砂糖に混ぜるなんて野暮なことはしない。指で掬えばそれはチョークの粉よりも細かく粉糖のように煌めいて私をいつまでもときめかせた。

《了》

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