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ライスシャワー

ライスシャワー
 高校三年になったばかりの春。あたしは去年まで昼休みにお弁当を二人で食べていた校庭のベンチに一人で座っていた。その理由は簡単で、付き合っていた彼が卒業してしまったからだった。彼は地方の理学部に入学したのを機に、あたしとの関係を絶ってしまった。彼の進路は前から知っていたので、驚くような結末ではなかったけれど、いざ置いていかれた身になってみると、平静ではいられなかった。今年からこのベンチで一人、お弁当を食べている姿を周りはどう見てるか考えると、なかなか惨めなものだった。だから、あたしは自分を鼓舞する為に、あんな男にあたしの大切なものを捧げなくて良かったと、強がりながら、このベンチに座っていたのだった。
 この日も黙々とお弁当を食べていたところ、突然、背中側にある校舎の上の方から女の子の悲鳴が聞こえた。あたしはその声の大きさに驚き、振り向いて見上げると、通学鞄と何冊かの教科書とノートが空を舞っていた。それは春先の暢気な青空に、不思議なくらいにぴったりと収まった光景だった。彼の進路の事で喧嘩をして彼の家から飛び出した時に、二階からあたしに投げつけて渡してきた、忘れ物の折り畳み傘が描く放物線よりも、完璧な曲線だった。
 あたしはそれらが自分の足元に落ちて散らばるまで見ていた。数学の教科書のタイトルから二年生のものだとわかった。あたしは最初に到着した鞄を拾い上げてから、教科書とノートを鞄にしまって歩いた。周りのカップルや女の子達はあたしを手助けする事なく、ただ呆然としていた。
 やがて、か細い悲鳴を上げながら、女の子があたしの方に走ってきた。あたしはあたりを見渡して、忘れ物はないか確認をした。全部拾ったところで、再度上を見ると、三人、四人くらいの女子達が窓からあたしを見下ろしていた。あたしは彼に振られた怒り(やっぱりまだ収まってはいなかった)を目に込めて、彼女達を八つ当たり気味に睨んだ。制服のリボンからあたしが上級生だとわかったのか、彼女達は窓からすぐに顔を隠した。何故か茶髪のショートカットの女だけは、不安な顔をしてから姿を消した。
「すいません。お怪我はなかったですか?」
 察しなくとも、鞄一式を投げられただろう彼女があたしに聞いてきた。模範的な髪型と制服の着こなしで、いかにも真面目、という感じだった。
「あたしは大丈夫。どうしたの? 彼氏にでも振られて、カッとなったのかな」
 あたしは初対面の彼女には伝わらない自虐風味のセリフで、彼女を少しでも笑わせようとしたのだけれど、彼女は何やら、当たらずしも遠からずな顔をしていた。
「あー、ここだと目立つから、場所を変えようか。一応全部拾ったつもりなんだけど、確認してみてくれるかな?」
「ありがとうございます」
 彼女は急いで確認して、大丈夫であることを視線で訴えると、あたしは彼女を連れて校舎に入った。入る前、念の為に先程の教室を見上げると、茶髪の女がまた見ていた。ただ、その対象はあたしではなく、彼女ように見えた。
 あたしは一階の書道室に彼女を招き入れた。あたしは書道部の部長をしていて、合鍵を持っていた。去年までは、ここでお昼を二人で食べたこともあった。——昼休みに似つかわしくない行為はしなかった。多分。
 彼女は恐る恐る中に入って来た。とりあえず、彼女を長椅子に座らせて、あたしは教卓のパイプ椅子を持ってきて彼女に向き合った。
「あんたのさっきの表情を見ると、イジメ、とは違う感じなのかな」
 彼女は両手の拳を握りしめて膝に置いた。模範的すぎて逆に違和感のある長さのスカートが、少しだけ歪んだ。
「——ある人がある人に告白の返事をしようとしたんです」
 いきなり彼女からは出ては来なそうな話しを耳にして、あたしは驚いたが、上級生の威厳の為に平静を装った。
「そうしたら、もう一人のある人が怒ってしまいまして」
 あたしは、どのある人があんたなの?とは言わずに、彼女とあの茶髪の女の立ち位置をイメージして、さもあらん、と勝手に頷いた。
「それで、荷物を投げられた、と」
「まぁ、はい」
「そこまでするのはどうかと思うけど、あんたも彼女持ちに告白するのは、なかなか大胆だね。でも、あの女もやり過ぎでしょ」
「あの女?」
「茶髪のショートカットの女。なんかちょっとキツそうな感じの子。あいつがあんたの荷物を投げたんでしょ?」
「違います」
「え、じゃぁ、茶髪女の取り巻きとか?」
「それも違うんです」
 彼女は回答に困っている顔をしていたが、あたしは理解できない事に困っていた。
「じゃあ、誰があんたのを投げたのさ?」
「それは——」
 彼女は一度下を向いてからあたしを見た。
「その、茶髪女?の桐花(きりか)の事が好きな男子なんです」
「……えーと。さっぱりわからん。もし良かったら、放課後またここに来られたりするかな?」
「わかりました」
 あたしたちは予鈴を聞いて、一旦解散した。

 放課後、あたしはそこまで期待はしていなかったけれど、律儀な彼女は書道室にやって来た——あの茶髪女を連れて。
「何、アンタ、謝る気になったんだ?」
 舐められないよう、ちょっとだけ居丈高に茶髪女に言うと、茶髪女は殊勝にも、ご迷惑をおかけしてすいませんでした、と頭を下げて来た。あたしはどうせ反発してくると思っていたので、肩透かしを食らってしまい、まぁ、あ、うん、と威厳も何も無い返事をしてしまった。
「先輩。実は色々と誤解がありまして、それを説明したくて来ました」
「誤解というか、そもそもあたしは事実を知らされていないから。とにかく事実を知りたいな」
「すいませんでした。端的に説明しますと、以前、この桐花がわたしに告白してきたのですが、今日の昼休みにその返事を求めて来まして、それに聞き耳を立てていた桐花の事が好きな男子が怒ってしまい、わたしの荷物を投げた、という次第です」
「……日本語としては理解できるんだけど、話としてはさっぱり理解できないわ。何、あんた、桐花? が彼女に告白したわけ?」
「はい……」
「で、桐花のファンがキレて、彼女、えっと名前は?」
「美嘉です」
「美嘉ね。あ、あたしはヒカリね。——で、男がキレて、男が美嘉の荷物を投げしました、と」
「はい」
 桐花が返事した。
「あんた、なんで昼休みの、しかも教室なんかで催促なんかしたのよ」
「……少しでも早く美嘉から返事が貰いたくて。小声で聞いたつもりだったんです」
「で、美嘉。あんたは何て言ったの?」
「——まだ心の準備が出来ないから、もうちょっと待って、と」
「そうすると、男がキレる理由がわからないんだけど!」
 あたしはとんでもない事案に首を突っ込んでしまった事に気づいてしまい、少しだけイラッとしてしまった。
「彼、あ、名前は——」
「いらん」
「はい。では、彼は、わたしに向かって、桐花を振るとは何事だ、と怒ってしまいまして」
「それって、桐花の事が好きというよりも、推しみたいな感じなんじゃない?」
「そうかもしれません」
 あたしは突っ込み所は満載ながらも、事の顛末は理解した。考えているフリをしながら二人を見ると、桐花がここぞとばかりに美嘉の手を握ろうとしていて、美嘉がそれをわたしに見られぬようにと、そっと払っていた。あたしは取り敢えずそれに触れないようして、イラッとしながらも、冷静さを失わずに口を開いた。
「話はわかった。あたしとしては、あんたらに何か言いたい訳ではないけれど、この何とも言えないモヤモヤだけはスッキリさせたいんだわ。だから、二人とも協力してくれるかな?」
 二人は当然、意味が理解できず、首を傾げていた。
「桐花」
「何ですか」
「あんたは、その男の事、どう思っているの?」
「……はっきり言えば、迷惑です。キモい」
「オッケー。では美嘉」
「はい」
「やっぱり、その男の名前と座席の位置を教えて。それと、明日の昼休みに、二人であたしが座っていたベンチにいてくれる?」
 あたしは二人を見ると、美嘉は質問したそうな顔をしていたけれど、黙って頷いていた。桐花はあたしの事など見てはいなかった。

 翌日の昼休み。あたしは彼女らの教室に入った。数人の女子がたじろいでいたけれど、他はあたしの事を奇異な目で見るだけだった。
 あたしは気にする事無く、男の席に行き、何やら慌てる男を無視して、机の中身を掴めるだけ掴んで、机の横にひっかけてある鞄を持って、窓の方まで歩いた。向かう先の生徒たちは、あたしにビビって道を開けてくれた。
 あたしは窓から下を覗くと、不安そうな顔の美嘉と、美嘉の制服の袖を掴んでいる桐花がベンチの裏側に立って、あたしを見上げていた。
「じゃあ、いくよー! 美嘉! 桐花! 二人は、卒業しても、仲良くするんだぞー!」
 あたしは男への制裁と、下にいる二人の祝福の為に、荷物が出来るだけ綺麗な放物線を描くよう、ひとつひとつ放り投げた。あたしも彼と喧嘩したあの時に、彼の荷物をこうしていれば、彼の進路が変わって別れる事も無かったのかな、なんて、馬鹿な事を思いながら、最後に残った物理の教科書をぶん投げてやった。

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