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全て過去の光たち

四十六億年と少し、君と宇宙
 今――宇宙航行時代を形作っている時間航行タイムワープ理論の立役者たちがどうしても覆せなかったことがある。それが「可視の光エネルギーはすべて過去のものである」という自然法則であった。光を利用することはできても、光の速度を「現在いま」にすることはできなかった。だから僕たちは過去の光を見ている。今も昔も変わらず。
 意識だけを機械の体に移す時代になっても、光を飛び越えてワープする技術を手に入れても――僕たちはアナログな世界の仕組みにとらわれて生きている。リルは船のわずかな重力発生装置が働くたびに、腰まで垂れてくる黒髪を喜んで触る。真っ白な手が僕の銀色の腕に絡みついて、持ち上げて、「重たい」と笑う。リルの健やかな生育が僕の第一目標であって、リルが大人の女性になったころ、彼女の胎から「採卵」し、適切な精子と結びつけるところまでが僕の役目だ。もうとうに果たせない約束のためだけに僕は動きつづけている。


 君が去ってから、何年目になるだろう。もう数えるのをやめてしまった。
「お前との子供が欲しいな」って君が言う、言うんだけれど、僕はそのお願いを自分が叶えられないことを悲しんだ。きわめて僕たちは若かった。そして世界はアナログだった。まだ同性同士の遺伝子で子供をつくることは合法化どころか実用化されていなかったし、宇宙航行技術も開発されていなかったし、何より意識だけを機械の体に移す生体トランス手術も下火だった。だから僕たちは、窮屈な男の身体に意識を押し込めたまま、静かに雨に打たれていた。
「どこぞで女でも作ってきなよ。そして産んでもらえばいい」と僕が言うと、君はかぶりを振って、「なら子どもなんかいらない」と言った。
「いなくってもいい。お前が家族になってくれるなら何もいらない」
 決まって君はそう言ったね。そう言って、僕を抱き寄せてもうひと眠りする。決まってそうする。
 でも僕は知っていた。君が血のつながった家族をどこまでも欲していたこと。君がどこまでも孤独だったこと。


 46億年という膨大な地球の年輪の前に、僕が過ごした数百年を足したところで揺らぎもしない。46億年とちょっと。地球で過ごした40年と、宇宙で過ごした百年余り、過去の光を届けてくる青い星から遠ざかって50年。僕が意識を人工生体装置に移植してそろそろ200年のバースデー。もっとも、暦から離れた今となってはもうなんの基準も無くて、地球と通信を切った今はただ黒くて長い時間の帯が僕の首の後ろから伸びているだけだった。ごくたまにこの機械の肢体は、エラーを吐くようになってきた。ブラックアウトの回数も増えたし、リルに揺すられてどうにか回路を繋ぎ合わせることも増えてきた。
 僕は老いてきた。

「パパ、まだ寝ないで」
「うん、うん、寝ないよ、」

 太陽系を遠ざかってからリルは生まれた。ある人の精子とある人の卵子とを組み合わせて生まれたデザインベビーだ。デザインベビーの世話をするのはこれで3回目だ。これが最後になるだろう、とも思っている。地球の外に人類の生存の可能性を求めた僕たちの業。実験と実証の犠牲者。そして研究の最先端――。


「ねえパパ。地球のお話をして」
「ああ、地球ね。ええと」
 僕はリルの体を抱きあげる。彼女の体はひどくもろい。宇宙で生まれて育ったから、骨が柔らかいのだ。すぐに骨折してしまう。身体を鍛えるための重力装置の稼働の時にさえ、一度転んでしまい、腕の骨を折って、なかなか治らなかった。
 僕はまず、窓の外に向けて丁重に彼女を座らせ、銀色の指で遠くの星を指す。僕らの唯一、あの青い星を。
「あれが地球だ。46億歳になる」
「リルは5歳!……だよね?」
「そう、5歳だ。……あの光は、過去の光だ。たぶん400年くらい前の光」
「400年?」
「つまり、ここと地球とは400光年離れている」

 リルに距離の話をするのはこれが初めてだった。

「光が1年で進む距離を1光年という。それが400ある」
「光って遅いのねえ。わたしたちより遅いね」
 リルが無邪気に言う。僕はリルの小さな手を手のひらに乗せた。リルが冷たい、と笑う。
「――そうだね。あれは過去の光なんだ。400年前の地球の姿」
「太陽と海と、川と山と、ビルがあるんだよね」
「そう、日本はそうだった。……懐かしいな」

 僕はもう無い瞳の奥に、君といた季節を思い描こうとする。美しい街と四季。逞しい君の肩。

「他のまちは?」
「それぞれに、いろんなものがあったよ」
「いろんなものって、なーに?」
「古代の王の墳墓とか」
「フンボ?」
「お墓」
 リルには難しいかもしれない。
「昔は、死んだ人を骨になるまで焼いて、土に埋めていたんだ。それを墓という」
 幼い顔が――君によく似た顔が、「げー」と歪む。僕は可笑しくて、リルの頬をつついた。
「今は小舟に乗せて宇宙に流すけれど、地球では方法が違ったんだ」
「なんでそんなザンコクなことするの」
「そうだねえ……なんでだと思う?」
 リルは黙ってしまった。僕はリルの丸い頭を撫でて、地球を眺める小さな背中を残して私室に戻った。



「余命数ヶ月って言われたよ。癌だって。生きてんの奇跡だって」
 晴れた春の朝に君はいう。ちょうど卒業式の日だった。
「だから、もうちょっとしたら、死ぬって。俺。助かる見込み無いってさ」
 21世紀が終わりかけてた僕らの青春時代でさえ、末期の癌は死に至る病だった。
 その道の大学に進むつもりでいた僕は、ありとあらゆる可能性を提示した。精子から卵子を培養してそれで子供をつくる研究の話。卵子ではすでに成功例がある話。精子でもそれを成功させて見せる、そう意気込む僕の真っ赤な頬を、涙を、彼は困ったように見ていた。一番困っているのは彼に違いなかったのに。
「……末期癌だってわかってから、家族が居なくてよかったと思ってたけど」
 彼は僕の背を撫でた。
「そうだ、お前が居たんだよな……ごめん」
 それを聞いた僕は彼の頬をぶん殴った。彼は切れた口から血を吐いた。殴り返してこない腕は代わりに泣きじゃくる僕を抱きしめ、卒業証書の筒を落として転がして、何度も「ごめん」と言った。
「都合のいい時だけそうやって……! 嘘ばっか吐いて……!」
 殴りつける肩が骨ばっていることに気づいて僕はさらに泣いた。僕が勉強に明け暮れている間に、あの逞しい体はやせ細っていて。死は確かに彼を蝕んでいた。何度も指や肌で確かめたあの体のラインが、失われていたのに気付いて、僕はまた泣いた。
 大学進学と同時に、半ば強制的に、彼の精子を保存した。そして自分のものも。
「いつか、僕と君の子供をつくるよ」
 彼は小さく笑って、「試してみろよ」と言った。病床にあっても君は変わらずかっこよくて、最期まで、優しかった。
「俺の分まで長生きしろよ、ひかる」

「リル」
 僕は彼女の顔を覗き込むのが好きだ。君の面影が見れるから。君の精子と、僕の遺伝子から作った卵子で生まれた子。持ち主がはっきりしない冷凍の精子から無作為に選ばれた組み合わせ。
「リル。教えておかなきゃいけないことがある」
「なあに」
 僕は告げる。リルの父親や遺伝子の出所なんてことは話さない。そんなことはもう必要ない。あとはリルがつないでくれる。つないでくれるはずだ。
「地球はもうすぐ爆発する。いつになるかはわからないけど」
「えっ?」
「もう爆発しているんだ」
 僕は説明する。400光年向こうの青い水の星は爆発してしまったこと。今見える光は、ずっと昔の姿なんだってこと。

「地球は宇宙に還った。……僕らは次の星を探して旅をしているんだ。覚えていて。リルは次の命を繋いでいくんだよ。絶対だよ」
「パパ? なんで急にそんなこと言うの?」
「いつ僕が……止まってしまうかわからないから」
 リルはそれを聞いて涙をぼろぼろこぼし始めた。宙に浮く涙のしずくが、僕の銀色の肌を濡らしていく。
「やだやだ、パパと一緒にいる、ずっと一緒にいる」
「……リル、僕はね」
「ずっといっしょにいて、いっしょにいてよう、死なないでよお!」

 声を上げて泣き出した娘を撫でながら、僕は君のことを考えている。僕にぶん殴られた君も今の僕みたいな気持ちだったのかな。僕の器官はいずれ止まる。かつての君みたいに止まる。君は焼かれて骨になって、あの地球で、300年前に爆発して……宇宙の素粒子になったんだろうか。なら君は今、僕の隣にいてくれているんだろうか?
 
 夢みたいなことを考える。考えている。機械の頭脳と想像力には限界がある。
 
 昔の光が届く。君が僕と初めて寝た夜のこととか、初めて手を繋いだ時のこととか、君のほうから好きだよって言ってきたときのこととか、全部ごちゃごちゃのかけらになって降ってくる。リミックスした音楽みたいに君への愛が溢れる。

 愛してるんだ、この宇宙の果てにいても、まだ君のことを好きでいる。
 リルの頭を撫でる。僕に出来るのは、ここまでだ。


 

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