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抜錨
水の記憶
私は父の初めての子だった。
写真は小さい頃のものを除いて、ほとんど残っていない。カメラを向けられるのが嫌でたまらなかった幼い私が、カメラから逃げまわるようになってから、両親は写真を撮るのをあきらめたという。スマホもケータイもデジカメも無い時代のことは、もはや記憶の中から呼び起こすほかないのだ。
記憶によれば、まず最初に父は、私に水を教え、それから泳ぎ方を教えた。
慣れるまではお風呂や、一生懸命膨らましたビニールプールで。次は、ドライブがてら連れて行ってくれた夏の海で。最後はひろびろとした市民プールで。おかげで私は、泳ぎに困ったことがない。小学生に上がるころには、五十メートルくらいならクロールですいすい泳げた。体育は苦手だけど、水泳だけは得意だった。
バタ足は脚でやるんだ、膝じゃない。とか。
身体から力を抜けば、水の中でもかるがると浮くことができる、とか。
息継ぎをするとき、吐くのは鼻で。吸うのは口で。
手は開かず、指先を揃えて……。
父は生まれつき片足が悪かった。だから、活躍の場を陸ではなくて水の中に移したのだという。陸ではたよりなささえ感じさせた父が、ひとたび水着に着替えれば、イルカか、シャチか……海のいきもののように泳ぎ回った。
私はその背や首に抱き着いて、つかの間の水中遊泳を楽しんだ。密着する父のからだは脂肪が浮いていたけれど、その内側にみっちりと筋肉が詰まっていた。柔軟に動く肩甲骨が、瞼の裏に透ける。背中に浮いたシミの数、私と同じ毛質の後ろ頭。
塩素の匂いのする水は青くぬるく、肌になじむ。私は父がざぶざぶと水をかき分けて進むのを追いかけていく。
あの頃、父は私のものさしで、
要するに、私は父のことを愛していたんだと思う。
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