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猫と兎

05 修学旅行
 僕が沖縄に行ったのは、後にも先にも修学旅行のときだけだった。だから、沖縄といえば陽奈との思い出しかない。
 周りに散々からかわれながら、僕たちは自由時間をずっと一緒に過ごした。教師にも把握されているくらいの公認カップルだったから、もはや恥ずかしくもなくなっていた。

「でも、本当にいいの?わたしとばっかり会ってて、男友達から何も言われない?」
「ん、言わせとけばいい」

 優しい陽奈は、僕の交友関係を心配してくれていた。しかし、可愛い彼女がいることにすっかり舞い上がっていた僕は、その点あまり気にしていなかった。

「っていうか、陽奈こそ金子さん放っておいて大丈夫なのか?」
「うん。夕美はちょっと、変わってるからね。基本は一人で、気が向いたら誰かと一緒に行動するって言ってた。陽奈たちの邪魔はしないから安心しろ、だってさ」
「そ、そうか……」

 陽奈は女友達が多かったが、どういうわけか、クラスでも変わり者の夕美に一番懐いていた。お昼は必ず二人で食べていたし、休みの日もしょっちゅう会っていた。夕美の方は、陽奈以外に親しい女の子はいないようで、いつも一人で何をしているのか、いまいち掴めない子だった。

 陽奈は水族館がやけに気に入り、水槽から中々離れようとしなかった。僕は魚なんてどうでもよくて、それを眺めている彼女の瞳を見つめていた。

「ねえ、立野くん。大人になったら、二人で沖縄に行きたいな」
「そうだな。集合時間とか気にしないでいいし」
「一日中、隣にいられるもんね。それでさ、レンタカー借りて、一周しようよ」
「運転するのはどうせ僕だろ?陽奈、いかにも下手そうだし」
「むう。運動音痴と運転はまた別だと思うの。わたしの方が上手いかもよ?」

 むくれてみせる陽奈が愛おしくて、僕は彼女の右手を握った。周りに同級生がいないことを確認してから。
 僕は当然、その約束を実現させる気でいた。卒業して、大学生になって、就職して、そしたら結婚して、陽奈との家庭を作るものだと思い込んでいた。高校生の恋愛なんて、そんなものだ。

「明日、晴れそうだね」

 陽奈が子供のようにはしゃいで言った。

「ちょっと前の予報は雨だったのにな」
「わたしのお陰かもよ?けっこう、晴れ女なんだ」
「おお、ありがたい。これで無事に水着姿が拝めるな!」
「バカ」

 僕は思いっきり、サンダルで足を踏まれた。

 陽奈の水着は、白地に黒の水玉だった。ブラトップに、フリルのついたミニスカート型。高校生にしては、大人っぽいデザインだったと思う。残念ながら、胸の発育は進んでおらず、本人はそれを気にしているようだった。

「似合ってる、かな?」
「うん、すっごく可愛いよ!陽奈は白が似合うよね」
「えへへ。やっぱりこれにして良かった」

 少し離れたところでは、女の子たちがビーチバレーをしていた。胸が揺れるのを見れるぞ、としょうもないことを言いながら、僕の男友達がそれを観戦していた。正直なところ、僕もそういうものに興味がなくはなかったが、恋人の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

「立野くん、今、他の子のこと考えてたでしょ」
「そんなことないよ」
「視線がすいすい泳いでるよ」
「すみませんでした」

 陽奈は泳ぎも苦手だったので、波打ち際で少し遊んだ後、パラソルの下に横並びで座った。彼女の日焼けを気にしたせいもある。穢れ一つない真白な肌を、僕はなるべく焦がしたくなかったのだ。
 同級生の目さえなければ、僕たちはもっと寄り添って、肌をくっつけあっていただろう。どうしても、そういうお年頃だ。僕はそんな気持ちを悟られぬよう、やたら饒舌だった。

「でさ、仕方ないから迎えに行ってやったら、やっぱりお兄ちゃんのこと好き、とかって妹が言うんだよ」
「可愛い妹さんだね。いいなあ、そういうの」
「いや、あいつ絶対、男を手玉に取るような酷い女になる」
「女の子はみんな、小悪魔だからね」
「僕にとっての陽奈は、可愛いウサギさんだよ」
「もう、バカ」

 陽奈はその手の冗談に慣れていた。宇崎という名字から、ウサちゃんと呼ぶ人も多かったのである。

「ウサギはさ、寂しすぎると死んじゃうんだよ?」

 セリフの内容に反し、陽奈の声のトーンは、一段高かった。僕は彼女と目を合わせようとした。しかし、彼女は真っ直ぐ海を見ていた。

「でもね、わたしは死なないよ。立野くんが、一緒にいてくれるから」

 その時僕は、一番カッコいい返答は何だろう、と必死になって考えた。思いつかなかった。初めての彼女ができたばかりの、青臭い高校生には、ドラマのような気の利いた展開は作り出せなかった。

「うん。そうだね」

 僕はそれだけ言って、彼女の手を強く握った。
 そして、その日の夜に、僕たちはようやくキスをした。

 最終日に僕たちは、琉球ガラスのストラップを買った。僕のが青で、陽奈のがピンクだった。彼女と別れてから、捨てた記憶はないのだが、もうどこにあるのかわからない。引っ越しのとき、うやむやになってしまったのだろう。

 修学旅行が終わると、文化祭があり、クリスマスがあった。その合間に別れてしまったカップルもいた。童貞や処女を卒業した奴らもいた。
 僕と陽奈の間に、キス以上の進展は無かった。おはようのメールをして、学校帰りにコーヒー・チェーンに寄り、部活がない日に繁華街でデート。帰ってから、眠るまでメールをして、寂しいときは電話をかける。
 至って健全な、健全すぎるお付き合いだった。唯一の変化は、彼女が僕のことを下の名前で呼んでくれるようになったことだけだった。
 今思うと、この時期が二人にとって一番幸せだったのだろう。周りからは応援されていて、何の障害もなく、ただ一緒に居るだけで満たされていた日々。
 儚くて、幼くて、そしてどこにでもある、ありふれた恋愛だった。
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