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猫と兎

10 モーレンジィ
 僕と夕美は、好みが似ていた。コーヒーはブラックで、ラーメンは塩で、目玉焼きには醤油で。
 だけどまさか、酒の好みまで一緒だったとは、思わなかった。

 夕美があの店に現れたと聞いてから、僕はなるべく他のバーへ行くようになった。
 季節は冬になり、週末になる度に、陽奈が結婚式を挙げているかもしれないと考えた。そうやって勝手な感傷に浸っていたところに、夕美が来たのだ。波流のいる店から、かなり離れた所だというのに。

「あたしも彼と同じものを」

 黒いトレンチコートを壁にかけ、夕美は僕の左隣に座る。それがあまりに自然すぎて、その店のマスターは、僕たちが待ち合わせをしていたものと思ったようだった。

「けっこう強い酒飲むんだね」

 夕美はカウンターに置かれた瓶を指す。

「それは、夕美もだろ」

 七年ぶりのはずなのに。僕は、余りにも平然と会話ができている自分自身に、驚く。夕美の顔を見る勇気が中々出ない。そしてマスターが、彼女の前に灰皿を置く。彼女は慣れた手つきでフリント式ライターを使い、火をつける。

「モーレンジィを置いてるとこは……ここと、波流ちゃんのとこと、あともうひとつくらいしか、あたしは知らない」
「意外にないんだよな、このウイスキー」

 もっと他に、話すことがあるだろう。そう思いつつも、僕たちは延々酒の話をする。
 二杯目を飲み始めてようやく、僕は夕美と目を合わせる。化粧が薄いせいか、高校のときとあまり変わっていないような気がする。髪型は相変わらずのショートだが、前髪が長いので、大人っぽく見える。

「で、このまま白々しくアルコール談義だけして帰るつもり?」

 懐かしい口調だ、と僕は少し嬉しくなる。

「じゃあ、近況報告とやらをしよう」

 そうしてまず、僕のことから話し始める。夕美は組んだ指の上に顎を乗せ、時折小さく相槌を打つ。彼女の方から、特に質問は無い。僕の身の上は、同年代の中じゃ特に珍しくも何ともない、平凡なものだからだろう。一応、女性関係についても話す。陽奈と別れた後、何人かと付き合ったことを。

「じゃあ、今は彼女いないんだ」
「うん。夕美は?」
「彼氏はいないよ、男はいるけど」

 夕美は新しいタバコを取り出す。僕は女性の喫煙には反対なのだが、彼女だけは例外かもしれないと考えてしまう。それくらい、とても似合っている。今着ているパンツスーツのデザインが、かなりシャープなせいもあるだろう。

「それって、波流ちゃんの店に一緒に来てた人?」
「ああ。その内の一人だね」
「すっかりチャラくなったな」
「元々だよ」

 それから、夕美の近況報告が始まる。彼女曰く、大企業のOLをしているらしい。国公立の大学を出ているのだから、僕よりも凄いところなのだろう。前述の通り、決まった恋人はいないが、遊び相手が何人もいる。その遊びというのが、どこまでの範囲を意味するのか、僕は知りたくない。

「幻滅した?久しぶりに再会した同級生が、タバコ吸って、チャラチャラしてて」
「いや。少し、悲しくなっただけ」
「ふーん」

 夕美はスマートフォンを取りだし、画面を確認してすぐそれを伏せる。

「今日も何人か呼び出してみたけど、全員ダメだったよ。まあ、そのおかげで志貴と会えた」
「おう」
「想像通り、真面目で誠実そうな男になってたからな。ここに入ったとき、すぐに分かったよ」

 僕の腕をちょん、と突き、夕美は笑う。どんぐりを拾って喜んでいる子供のように。
 なぜか僕は、どうにも恥ずかしくなって、強引に話題を変える。

「陽奈、結婚するらしいな」
「あたしも波流ちゃんから聞いた。まあ、そう驚かなかったね。あの子っていかにも、女の幸せは結婚ですっていうタイプだったから」

 棘まみれの言い方に、僕は思わず噛みついてしまう。

「夕美はそうじゃないのか?」
「うん。だって、仕事は楽しいし、男の子たちと遊ぶのはもっと楽しいし。この歳で結婚なんかして、家に縛られるのは絶対に嫌」
「……夕美と陽奈って、親友だったよな?」
「高校生のときはね」

 それにしても、考え方が違いすぎるだろう、とはあの当時から思っていた。高校を卒業してから、さらにその差は広がり、今二人が出くわしたとしても恐らく会話は成立しないだろう。

「さて、大人しく帰るとするよ。今日は楽しかった、また飲もう」

 気付くと、夕美のグラスは空になっている。

「なあ、連絡先、交換しておかないか?」
「いや、いい。どうせお互い、この辺を飲み歩いてるんだ。また出くわすこともあるよ」

 夕美は立ち上がり、僕を見下ろす。

「約束なんてしない方がいい。今日だって、こうして会えた。本当に会う必要性があるときは、ちゃんと会えるものだよ」
「夕美は、僕に会いたかったのか?」
「否定はしない。少なくとも、今日志貴と会えたことは、あたしにとってプラスに働いてるから」

 僕は座ったまま、夕美が出ていくのを見送った。
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