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浅井長政の結婚記念日

浅井長政の結婚記念日

　浅井長政あざいながまさには三分さんぶん以内いないにやらなければならないことがあった。
　妻つまであるお市いちが、もうすぐ風呂ふろから上あがる時間じかんであった。それまでに彼女かのじょには内緒ないしょにしたためている書物しょもつと書道しょどう用具ようぐを隠かくさねばならなかった。

「……急いそげ、時間じかんがないぞっ」

　急いそぎつつも慌あわてずに、蔵くらを目指めざして突つき進すすむ長政ながまさ。彼かれは明日あした、結婚けっこん記念きねん日びを迎むかえるのであった。

　信長のぶなが公こうが政略せいりゃく結婚けっこんで彼女かのじょを長政ながまさに嫁とつがせたことは、明白めいはくである。だがそれを知しりながらも、彼かれは手放てばなしに喜よろこび彼女かのじょを迎むかえた。

　その日ひは彼かれにしては珍めずらしく、城しろに仕つかえる女中じょちゅう達たちを総動員そうどういんしてありとあらゆる料理りょうりを作つくらせて、彼女かのじょを迎むかえるお祝いわいの宴うたげを開ひらいたのであった。

　ただそれを見みたお市いちは、喜よろこぶ一方いっぽうでわずかながら遠慮えんりょの見みえる笑顔えがおを見みせたのであった。長政ながまさは、ただ一人ひとりそれを見抜みぬいていた。

　喜よろこんでくれたことには間違まちがいないが、彼かれも自分じぶん自身じしんで「これだけではまだ何なにか足たりない」と思おもっていたのであった。

――それの答こたえを知しった長政ながまさは、ひと月つき前まえになって急きゅうに女中じょちゅうたちの元もとへ駆かけた。そして彼かれは殿とのという立場たちばでありながらこう言いって女中じょちゅう達たちに頭あたまを下さげた。

「市いちには内密ないみつに、私わたしに料理りょうりを教おしえてほしい」

――そう、今年ことしの結婚けっこん記念きねん日びのお祝いわいは、なんと長政ながまさが自みずから彼女かのじょに料理りょうりを作つくるというもの。それも、直前ちょくぜんまで彼女かのじょには気きづかれないようにすると。

　女中じょちゅう達たちは猛反対もうはんたいするも、彼かれの決意けついは固かたかった。

「去年きょねんと同おなじやり方かたでは、気持きもちまでは届とどかんのだっ！　頼たのむ！」

　これが、長政ながまさの見みつけた、愛あいを伝つたえる方法ほうほうの答こたえ。今いま、蔵くらに運はこんでいる書物しょもつは、料理りょうりの手順てじゅんを自みずからの手てで書かき起おこし、当日とうじつ絶対ぜったいに失敗しっぱいしないようにという理由りゆうでしたためたのだった。

――そして、当日とうじつ。長政ながまさはお市いちを食事しょくじの席せきへ連つれて行いった。

「――長政ながまささま、今日きょうのお料理りょうりって？」

　配膳はいぜんされた料理りょうりを見みて、お市いちは早はやくもいつもとの違ちがいに気きが付ついたようだ。

「――市いちよ、今日きょうは何なにの日ひか、覚おぼえておるか？」

「……覚おぼえているよ。長政ながまささまといっしょに、このお城しろにやってきた日ひだから」

「そうだ。去年きょねん君きみがどこか遠慮えんりょしながら料理りょうりをとっているのを見みて、私わたしは自分じぶんの間違まちがいに気きが付ついた」

――その言葉ことばを聞きき、お市いちはますます驚おどろいた。

「――やっぱり、気きが付ついていたんだ」

「だから、今日きょうは私わたし自みずからが料理りょうりを作つくった。今日きょうは久々ひさびさに二人ふたりきりで、一緒いっしょに食たべよう」

　お市いちが初はじめに気きが付ついたのは、盛もり付つけの違ちがい。女中じょちゅう達たちのいつもの盛もり付つけとは、全まったく異ことなる癖くせが出でていたこと。

「長政ながまささま……ありがとう」

　彼女かのじょらと比くらべたらまだまだ美うつくしさが足たりないが、自分じぶんのことを思おもっている誰だれかが苦手にがてなりに一生懸命いっしょうけんめい作つくったということは、彼女かのじょもわかっていた。

「……私わたしも、その言葉ことばが聞きけて嬉うれしいぞ」

――後あとに長政ながまさは、信長のぶなが公こうと方針ほうしんの違ちがいを巡めぐって争あらそうこととなり落命らくめいする。
　だが彼かれは、死しの間際まぎわにあってもお市いちを愛あいしていたという。