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のんこ

チカとのんちゃん
 私はいつも通りの毎日を過ごしていた。

 小学一年の娘、チカが絵を描いているのを確認しながら、洗濯物を畳んだり、食事の準備をしたり。

 何も変わりの無い、平和な日々を心から楽しんでいた。

「チカ、そろそろご飯にするよ」

 私が言うと、チカは素直に「はーい」と返事をする。
 しかし、中々絵を描く手を止めない。

 これも毎日のことだ。
 返事だけはいい。
 とはいえ、私も無理矢理やめさせることもしない。

 なぜなら、チカのお絵描きは大切な日課なのだ。
 夜遅くに帰って来る夫のために、毎日その日の出来事を絵にして贈っている。

 夫もそれが楽しみで、仕事から帰って来たら、ビール片手にチカの絵を楽しむのだ。
 なので、夫のためにも、チカのためにも、無理に止めることはしないでいる。

 そんな、平和な日常が続くと思っていたある日のこと。
 いつも通りに絵を描くチカに「ご飯にするよ」と声を掛けるが、チカは無言だった。
 いつもの、元気の良い声が返って来ない。

「チカー、ご飯の時間だよ」

 聞こえていないのかと思い、もう一度声を掛けるが、やはり返事が無い。

 おかしいと思って、私はチカに近付いた。

 一心不乱に、黒いクレヨンを紙に擦り付けるチカの隣にいって、絵を覗き込んだ瞬間。

 ゾッとした。

 チカが描いているその絵は、チカと手を繋ぐ赤黒い人間のシルエットらしきものが描かれている。
 あまりに不気味で、私の喉がごくりとなった。

「ち、チカ? 何を描いているの?」

 聞きながら、そっとチカの肩に触れる。
 するとチカはハッとして、手を止めた。

 そして振り向いて私を見上げると、にぱっと笑顔を見せる。

「チカとね、のんちゃん」

 そう言われ、私は笑顔を作った。
 きっとひきつった笑顔になっているだろう。

「のんちゃんって?」

 私が聞くと、チカは笑顔のまま。

「お友達、今もいるよ!」

 そう返してきた。
 私は思わず室内を見回す。
 当然、私とチカしかこの部屋にはいない。

「その、のんちゃんって子は、どこにいるの?」

 震える声で私が聞くと、チカは私の背後を指差す。

「そこにいるよ」

 チカが言った。
 ぞわぞわと、肌が粟立つ。

 恐る恐る振り向くが、そこには何もいなかった。
 ホッと息をついた私は、チカの方に振り向く。

「やだ、チカ、誰もいない」

 と、言ったところで私の声は途切れる。
 さっきまで、すぐ隣で座っていたチカがいなかった。

「チカ?!」

 テーブルの下に隠れたのかと思い、慌てて私はテーブルの下を覗き込む。
 しかしそこにチカの姿は無い。

「チカ?」

 頭を上げて振り返ると、私の真後ろにチカが立っていた。
 一瞬身体が跳ね上がるほど驚いたが、同時にほっと息をついた。

「やだもう、チカ、おどかさないでよ、ママびっくりしちゃった」

 安堵の息が口からこぼれ出る。
 本当に驚いた。

 しかし、ほっとしたのも束の間。
 チカの様子がおかしい。
 何も言わず、小刻みに体を震わせている。

「チカ? 大丈夫?」

 熱でもあるのかと、心配になり、チカの額に手を伸ばした時だった。

「ながやぐ、どどだぢ、ゆぎぃー、ゆぎぃー」

 と、チカが意味不明な言葉を喋りだす。
 体をゆらゆら動かしながら言うチカの目は、白目になっていた。
 顔色も悪く、唇が紫色になっている。

 その瞬間、なぜだか私は思った。

 のんちゃんだ。

 チカの体に、のんちゃんが取り憑いている……と。

 私は慌ててチカを抱き寄せる。

「出ていって! のんちゃん! チカは渡さない! 何処かへ行って!」

 チカを強く抱きしめながら叫ぶと、チカ……のんちゃんは「ゆぎぃ」と一言呟く。
 そして。

「ママ? どうしたの?」

 チカの心配そうな声が聞こえた。
 私は戸惑いながらもチカから離れて、チカの顔を確認する。
 チカの悪かった顔色は赤みを取り戻していた。

「よかった、チカ」

 私は再度、チカを抱きしめる。
 本当に良かったと、そう思っていた。





 その日の夜。
 私は帰ってきた夫に今日の出来事を話した。
 信じて貰えないだろうと思いつつ、それでも誰かに聞いて欲しくて話をした。

「なるほどなぁ」

 チカが描いたのんちゃんの絵を眺めながら、夫は呟く。
 嘘だろうと、頭から否定される事を覚悟していた私は、何かに納得している夫に驚いた。

「信じてくれるの?」

 私が聞くと、夫は頷いて見せる。

「昔、俺が小学生の頃、友達が"のんこ"って友達ができたって言ってたんだ、彼もチカが描いたのとよく似た黒い人を描いて、それをのんこって言ってた」

 少し悲しげな表情で、夫は言う。

 のんこ……だからのんちゃん?
 などと思っていると、夫は静かに私の方を見て、微笑む。

「よくチカを守ったな」

 優しく夫は言って、ネクタイを緩める。

「のんこと関わったその友達、家族みんな死んだんだ、一家心中でな」

 それを聞き、私の体は恐怖に震えた。

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